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株式会社IMS損益管理執行取締役 株式会社SCS代表取締役

益田 兼次

疑心暗鬼に悩まされる日々

益田 兼次

警備業界には多くの会社があります。一見するとIMSグループもその一つと思われるかもしれません。しかし、その実態はまるで異なっています。そのなによりの証拠が現在の自分の姿であると、自信を持って言明できるのが私です。
「うちは益田社長を全力でサポートしていく、そういうことでIMSグループのメンバーになってもらったはずでしょう!」
突然そう発言された株式会社CTUの室井社長を、私はただ呆然とした表情で見つめていました。
月に一度のIMSグループ会でのことです。本当のことをいえば、そのときまで私は疑心暗鬼の気持ちで、ほとんど神経衰弱の一歩手前とでもいえるような状況。
そんなふうに揺れていた自分の脳髄をガツンと殴られたような衝撃を受けた瞬間でした。警備の隊員、その管理、そして警備業務を発注する立場……それまでの私はこの仕事に関わるいろいろな部分を経験してきました。
その結果として、自立し自分で警備業を回していきたいと考えるようになっていた私にとって、唯一不安だったのは「経営」の経験がないこと。そんなときにいろいろと相談に乗ってくれ、
「それなら……」
といってIMSグループに誘ってくれたのが篠田総代(当時代表)だったのです。
そこからはトントン拍子。直前までいた会社では、新規事業で警備部門の立ち上げから関わっていましたが私の退社で警備部門を廃止。以前いた建設系の会社など、それまでの顧客にそのまま契約していただき、株式会社SCSを設立することができました。
立ち上げ当初の仕事、それも決して小さくない業務付きでスタートを切れるという非常に恵まれた環境だったのです。ところが、すぐにそれが大きな不安の種に変わります。実際、株式会社SCSでの業務が始まると、当然のことながら私一人では回りません。
IMSグループ本部から、現在の株式会社アスタリスクの榎本社長がサポートに来てくれました。常駐として私と二人チームで株式会社SCSの仕事すべてを分担したのです。
なんとこの人がすごくデキルのです。現場の隊員さんたちへの指示やフォローは当然ですが、榎本社長は顧客対応や新たな地盤開拓のための営業までこなします。まるで自分の会社のことであるかのように必死で動き回り、それだけの結果を出し始めたのでした。
最初は、啞然という感じでその手腕に驚いていました。
次に芽生えたのが不安です。
「気がついたら、SCSって榎本さんのものになってるんじゃないか!?」
確かにこの会社を立ち上げ、最初の顧客との仕事を始め、社長になったのは私です。
でも、株式はすべてIMSグループがにぎる形ですし、サポートという名目でやってきた榎本社長は、あっという間に私と同じだけ株式会社SCSのすべてを押さえてしまいました。
顧客人脈まで握られるのは時間の問題。そうなれば私のいる意味はありません。体よくお飾りにされるか、ポイと捨てられてもなに一つできないのです。実際、この業界は弱肉強食。
世知辛い話や手のひらを返すような話は掃いて捨てるほどあります。自分もそんな生け贄の一人かもしれないという気持ちが次第に強くなっていきました。


信頼を与えてくれた言葉

益田 兼次

その不安を解くきっかけを作ってくれたのも、室井社長でした。一月のある夜のこと。室井社長から榎本社長に一本の電話があったのです。株式会社SCSの様子を見に行くから、という連絡。
ところが、榎本社長からその連絡を受けた私は正直
「またか……」と思ってしまったのです。
じつは、以前にもIMSグループの別の取締役の方が仕事の現状について少し話をしようと来てくださったことがあったのです。
もちろん、それ自体は何も悪いことではありません。ところが結果的には、仕事の確認もソコソコ、こちらが朝からの勤務で疲れているなか、結局は近所の飲み屋へと場を移した親睦会のようになってしまったのです。
それも悪くはありませんが、ついつい片づけるべき仕事をためてしまっていた私にとってはストレスを増してしまう経験になっていました。
正直な話、それが今度は室井さんか……飲みにいって、また仕事が遅れるんじゃかなわない、瞬間的にそう考えてしまったわけだったのです。
そこで、大変申しわけないのですが、適当な理由をみつけ室井さんに捕まる前にといそいで事務所を出てしまいました。驚いたのは翌朝です。
出社してみるとなにかが違う。それまで積み残してあった経費精算の山がほとんどキレイになくなっていたのです。
榎本社長と私は、まず株式会社SCSを回すのが精一杯。そのためにはなににも優先したのは、顧客対応、隊員対応。そのためにお金のことについても、対社外はどうにかこなしていたものの、自分たちの経費は後回しにし、実際には忙しいからと放ってある始末でした。
榎本社長一人が待つ事務所に来られた室井社長が目にしたのは、そんな山積みの経費精算書類の山だったわけです。ところが、ためるだけため込んだまま姿を消した私に腹を立てるでもなく、その状況をみた室井社長は必要な要点を榎本社長に確認、私のデスクに陣取るとすぐさまテキパキと経費精算作業に取りかかられたそうです。そのあと、深夜まで精算書類をまとめられ、目処がついたところで、初めて引揚げることにされたと聞きました。
そんなバツの悪い思いで出席したグループ会での室井社長の発言が、最初に挙げたものでした。
「全力でサポートというのは、誰かを送り込めばそれで終わりということじゃありません。榎本くんに任せたからあとは大丈夫というのじゃ、安易すぎませんか。榎本くんがかわいそうというだけじゃなく、私たちを信じてIMSグループに来てくれた益田社長を裏切ったといわれても仕方ありませんよ!」
もちろん、私自身グループに参加したからといって、どこまでも甘えて世話してもらおうなどと考えていたわけではありません。
しかし、どこかに甘い気持ちがあったことは確かですし、それ以上に泊まり込みで手伝いに来てくれていた榎本社長や、自分の業務後に足を伸ばしてくれ、他人の仕事である経費伝票の整理まで黙々とこなされた室井社長の真意が、どんなものかについてはまるで理解していませんでした。
そして、仕事がどうにか上手く回り始めるとともに、不埒な疑いを抱くようになっていた自分が榎本社長、室井社長だけでなく、他のIMSグループ取締役の皆さんに対してもどれほど失礼なものだったかに気づくことができたのです。
室井社長とは前の会社のころからお付き合いがあり、非常に頼りがいのある方だと感じていました。
けれど、同じグループの仲間、同志のようなものだと感じ方が変わったのはそのときからだと思います。しかも、そんな室井社長が本気で怒れるほど、グループ会のメンバーたちを頼りにされていることも明白に分かったのがこのグループ会でした。
そのときから、私も本当の意味でIMSグループの一員になったように感じています。株式会社SCS立ち上げの時点から、二人三脚を組んでもらった榎本社長とは、それ以上にぶつかりもしました。最初のころは、経営のこと、事務所運営のやり方などについて、怒鳴りあったこともあります。事務所を空けて現場に出ることが多すぎるのは、経営者の自覚が足りないなどと注意されたこともありました。
けれど、一緒に働く時間が長くなればその人の真意は自然と分かります。仕事が終われば、お疲れさまとグラスをあわせ、いろいろな話をするのですから、かけがえのないパートナーとして打ち解けるようになるまでには、それほど時間はかかりません。


困難を乗り越えるには

益田 兼次

こうして株式会社SCSは、IMSグループの一角として動き始めたわけです。
業績は、以前の会社にいた当時からつながりがあった安定顧客の仕事を引き継げたこともあって、第一期から黒字達成という好成績でのスタートが切れました。しかしいいことばかりが続くほど、現実は甘くありません。
最初の決算直前から、ある困難に見舞われることになります。もちろん、黒字とはいえ、経営業況が100点満点だったわけではありません。
私の警備業との関わりは、アルバイトの一隊員という立場で始まったものでした。その後、現場も内勤も経験を積み、必要な資格も取得していましたから、たいていの仕事には対応できるつもりでした。
しかし、当然ながら会社の経営となれば話が違う。まったくの門外漢です。さらに、事務所をつくるからには社員も隊員も新たに必要になります。しかも、彼らが必ずしも警備業の経験者とは限りません。
経験などないことの方が多いのが当たり前かもしれません。責任を持って最初から仕事を教え、警備の仕事を立派に回していかなければならないのが、社長の最低条件です。
そう考えると、最初のころの自分には、この仕事は難しいことばかりだったといえます。とくに警備の現場に立つ隊員さんに定期的な仕事を割り当てる責任、つまり請け負う仕事を確保する部分までが、自分の責任としてのしかかってくるのです。
さらに、現場の警備は大小さまざまな危険と隣り合わせのものであることは避けられません。
そのリスクマネジメントもまた、当然会社の責任であり社長の責任になります。日々の業務を動かすだけでも、自分には人材管理・安全管理の大変さと責任で、それまで経験したことのないような重圧がのしかかっていました。
そんななか、恐れていた不運についに見舞われます。ひとりの隊員さんが、現場で転んで首の骨を折るという事故が起きたのです。高齢の隊員さんも多く、怪我を100%防ぐことは困難ですが、なにしろ一歩間違えば生命にも関わりかねない大怪我です。
発生後の処理も大変でしたし、なによりその方やご家族に申しわけなく、何とかケアしなければなりません。
事故にあった隊員さんには、とにかく少しでも生活を圧迫することのないよう、保険や保証などでできる限りの手だてを尽くし、毎月のように書類を持ってお見舞いすることになりました。ご家族の方で気にされ、本人が転んだのだから仕方ないといってはいただけましたが、やはりひたすらに頭を下げ続けました。しかし、えてして悪いことは続くもの。それからそう長くない間に、株式会社SCSでは相次いで怪我人が出るような事故が発生、現場ではなかったものの体調を崩された隊員さんが亡くなってしまうことも起こってしまいます。
挙句、それらの事故からグループ内では「SCS死神伝説」などという不名誉な言葉までささやかれるようになる始末です。
一隊員として働いていたときには、事故は自分の責任というのは当然のことと考えていました。
しかし経営者になったいまでは、まったく違います。
安全管理は徹底していたか、熱中症対策に不備があったのではないかなど、問題発生の原因を考え始めればきりがありません。ところが改善しようにも、リスクマネジメントはどうすればいいのか、責任問題としてどう対処すればいいのかなど、分からないことだらけです。また、事故発生の現場では、他の隊員にも対応し、動揺や不安を抑える必要があります。
「分からない」では通らないのが社長の大変さ。
IMSグループの社長たちに尋ねたりしながら、自分でもできる限り調べて対応せざるを得ないわけです。しかも折悪しく、「死神伝説」の直前には榎本社長が仙台での事務所立ち上げサポートに回ることになって株式会社SCSから離脱。それまで一緒にやってきて、一番頼りにしていた人物を欠くことになってしまったのです。
私の頭からは不安が離れませんでした。悪いことばかりが重なり、しかも榎本社長は異動。ひとりで悩んでしまい、一時は株式会社SCSは畳んだ方がいいのではとさえ考えてしまうようだったのです。そんな思いを篠田総代(当時代表)に相談しました。
しかし篠田総代は
「なにか悪いことをしたわけじゃないんだ、悩みすぎない方がいい。こういうときこそ落ち込まず、これからどう行動して、対処するかが大切なんだ」
といってくれたのです。
考えてみれば当たり前のことですが、事故対策は大切ですが、結局は100%コントロールすることは不可能なのが事故です。ましてや起こってしまった事故をなかったことにはできません。ならば無理に抗わず、とにかく耐えて自分がすべきことをするしかないのです。社長としての仕事とそれまでの一隊員、一社員としての仕事とは大きく違う。それでも、立場に伴う重圧に振り回されて大切なことを見失なってしまうのは愚の骨頂です。とにかく自分がするべきことをするしかない、そうしていればきっと道は開けるのだと、篠田総代の言葉で改めて気づかされたのです。


さらに新たな仕事に挑む

2期目に入り、まだまだグループ内での株式会社SCSの売上高は低く、また、社員の力量不足が見受けられましたが、伊藤社長・室井社長が都賀まで来てくれて営業活動や研修など、私一人では補えない部分をサポートしていただきました。
こうして、困難はありましたが、どうにか株式会社SCSの業務も上手く進んでいってくれました。社長として、営業活動や現場巡回、管制、経理などの業務をこなしていくなかで社員たちも成長。ようやく会社が軌道に乗り始めたのです。
しかしそんな折に、また新たな役割が舞い込んでくることになりました。IMSグループ全体での委員会活動がスタート。
私は損益管理委員長に任命されました。
あれだけ経営に悩み苦しんでいた私が、グループ各社の経営の問題点を指摘する立場になったのです。
そして、新たに独立を目指す大木君が株式会社SCSへと預けられました。それからは、その独立に向けての応援もしていくことになったのです。
委員活動と独立支援をスタートしてから2~3カ月。その二つの役割にどうにか目処がつきかけてきたところ、3番目の目標が示されました。今度は仙台事務所のサポート、これは榎本さんが実績をあげていた部分の引き継ぎです。
そこからは本当に大変でした。ただし、これまで精一杯と考えていても、やり方によってはそれ以上の力を発揮できることを知ったのは自分にとって大きな収穫といえます。
大木君には「自分の給料分は自分で営業して仕事をとってきてくれ」と指示を出し、挑戦させながらバックアップをしていきます。
警備業界の経験者ではあっても固定客を持っていたわけではありませんから、独立の基準売上を達成するのは並大抵ではなかったはず。
しかし、短期間のうちにその条件をクリアしたのは見事でした。さて、一方で仙台事務所の業績にも目を配らなければなりません。
こちらも株式会社SCSの営業所となっていたので、月に数回は状況確認に出向き、必要があれば所長の針生さんのサポートもしなければなりません。
また、当然ながら株式会社SCS本体の売上と利益確保からも気は抜けませんでした。
なにしろ、損益管理委員長として他のグループ会社の業績に口を出すのです。
自社の経営が悪くては、グループのためにいうべきこともいえなくなってしまいます。


外からだから見えるもの

益田 兼次

私のIMSグループへの関わり方は、これらの業務を通してかなり大きく変わったのではないかと思っています。自社の業績は大切ですが、それにも増して後進を育て、グループのための活動に努め、かつて自分がしてもらったように、目標を共有する仲間のために行動する立場になったのです。
とくに、大木君の独立の手伝いをしたことは大きな意味を持っているように感じます。
外様としてIMSグループに加わり、一時は疑心暗鬼になり、経験のなさゆえに不安に苛まれていた私が、同じように外から来た大木君を、IMSグループの一員として助けることになったのです。おそらく、彼のサポートには似たような立場の私こそ最適任ということで任されたのでしょう。
そしてこの経験は、私にとっても大きなプラスになったのに驚き、同時に非常にうれしく思いました。
これらの業務が重なって動いていた間は、仕事量も多く、音を上げそうになることもありました。
しかし、私に負けず劣らず、社員たちは大変だっただろうと思います。社長が他の事務所に応援に出かけている以上、本拠を守るのはどうしても社員たちになります。
担当する業務が増え、負担も大きかったはずですいまになって思うと、最初に株式会社SCSに入社した社員が、そんな大変な時期を越えて、現在もついてきてくれていることに、改めて感謝しますね。
あの苦しさを体験したことで、私も社員たちも大きく成長できたからこそいまがあり、そうしてできた仲間はいつまでも大切なものであり続けるはずです。
川の水も会社もいつまでも同じ水や人たちだけでは、知らず知らずの間に淀んでいってしまいます。
だからこそ、IMSグループにはどんどん新しい血が入ってきて欲しい。外からIMSグループに参加し、独立を果たした最初の社長が私です。だからこそ見えることがありますし、いうべきことはいいます。IMSグループは決して立ち上げに参加したメンバーたちだけのグループではありません。
現在以上にIMSグループを良くしていくために必要なのは、グループの理念や目標に共感する外部からの人財なのだと私は考えます。
そしてそんな方こそ、現在の私にとっての他の役員、そして一緒に苦労してきた社員たちのように信頼しあえる仲間を得ることができるのだ。私はそう信じているのです


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