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株式会社IMS事業計画執行取締役 株式会社アイデン代表取締役

伊藤 義富

ホームでの長いため息

伊藤 義富

12月の寒い夜、ただでさえ凍えきったような気分で、自然と暗い顔になってしまう私の頰に、絶え間ない北風が吹き付けています。JR錦糸町駅、吹きさらしのホーム。虚ろな視線でなんとなく見下ろす先には、少しも味の感覚のないまずい酒を先ほどまでのどの奥に流し込みつづけていた居酒屋の明かりが、うすぼんやりと瞬いていました。

 

携帯電話が鳴りました。
「ハイッ! 伊藤です」
「オレだよ! どこにいるんだ!」
置き去りにしてきた篠田総代(当時代表)の声。
「電車で帰る途中です……」
「ハァ? それで本当にいいの?」
「だったらもう明日から来なくていいよ!!」
私はなにも言えませんでした。無言の時間が過ぎていきます。

 

電話の向こうの篠田総代も一言も話しません。私は、ふう~と長い息を吐きました。その白い軌跡が暗闇に吸い込まれていくのを追いながら、なにか重苦しいものが一杯に詰まっていた私の胸は、少しずつ軽くなっていきました。


株式会社伊田電通が見捨てられる!?

伊藤 義富

それは株式会社伊田電通が秋葉原に事務所を構えて、ちょうど10カ月ほどが過ぎた平成20年の12月のこと。しかし、私自身にとっては、IMSグループに入っていまに至るまでそのころほど苦しかったことはなかったのです。いまさら誰に隠すでもありません。会社設立とともに取締役になったとはいっても、私は警備業の素人でした。それが縁あって株式会社IMSの設立に加わり、そこそこの役割を果たしてきたつもりだったのです。
でも1年が経過するなかで、それがただの過信と自分の都合ばかりの誤解の産物だったことを、嫌というほど思い知らされていました。創業当時の株式会社IMSについては、他の取締役がしっかりと語ってくれるはずですから、ここでは私に降りかかっていたいくつかの問題について、語りましょう。
まず、私のバックグラウンドであり、IMSグループに参加するまで20年も続けてきた通信設備会社である、株式会社伊田電通が破産寸前になっていたのです。株式会社IMSが実際の登記・設立にたどりつくまでの数年間、株式会社伊田電通は新しい形の警備会社を創りあげていこうと準備を進めていた我々にとって、非常に有用な受け皿でした。そしてその後、平成25年8月社名を株式会社アイデンに変更したとはいえ、株式会社伊田電通は紛れもない私の会社だったのです。
もちろん、設立から1年、自分では一心不乱に株式会社伊田電通を軌道に乗せるために頑張ってきたと考えていました。しかし、その結果はさんざん。自分が代表者の会社が倒産すれば、社長として保証人になっていた私自身も自己破産するしかない状態だったのです。警備業では、社会的信頼がなによりも重視されます。そして日本の法律では、自己破産者は会社の取締役になることが禁じられているのです。
つまり、株式会社伊田電通が破綻したとたん、私はIMSグループの取締役という身分も同時に放棄しなくてはなりません。


家庭をとるか仕事を選ぶか

どこかで私は、株式会社IMSを設立・登記するまでが、自分の仕事だと思っていました。所詮、自分は素人。
他の仲間たちが動けない間、具体的にいえば全員が働けるベースとなる「箱=IMS」を造るまでを請け負えばよくて、「箱」さえできてしまえば、あとは警備のプロである仲間たちが頑張って、それまでの私の苦労に報いてくれる番でいいはずと考えていました。考えてみれば、伊東さん(当時会長)に誘われたのが、私がこの業界に興味を持った切っ掛け。
そこから株式会社IMS立ち上げのメンバーに加わったまでは良かったのですが、結局は株式会社伊田電通社長という社会的立場のあった私の保証で、気が付くと数百万円も都合することになっていました。ただ
「IMSさえ立ち上げれば、あとはみんなプロ中のプロ。すぐに利益が出て儲かるから、借金なんかすぐに取り返せるよ!」
といわれていたのです。
だからこそ、平成19年12月に株式会社IMSの設立・登記が完了したときは、なんともホッとしたというのが実感でした。それまで抱え込んできた苦労がやっと終わり、やっと自分が楽をさせてもらえるようになるはずだったからです―でも残念ながら、それは自分にだけ都合のいい夢物語でした。
現実には、会社が動き出したとたん、目にみえて私の仕事は増えてきました。当たり前です。これから創りあげていこうという株式会社IMSの理念に賛同していたとはいえ、所詮は警備の仕事を周辺から眺めていただけの男が、突然、まるで未経験で、ある意味特殊な世界である警備会社の、しかも経営の一角に携わることになったのですから。それまでの話を手放しで信じていた自分が悪かったのか! さんざん悩みましたが、悩んでいても状況はなに一つ変わりません。お金は返ってこないうえに、仕事の方はすべて自分が担当せざるを得ない状況。毎日、早朝から真夜中まで働きづめ、さらに覚えなければならないことも山のようにありましたから、自分でもおかしいと感じましたし、実際、うつ状態だったのかもしれません。
この仕事の流れや仕組み、会社にとってなにより重要な現場の警備員さんたちとの付き合い方を覚え、必要な資格を取るための勉強をし、営業に回り資金回収に冷や汗を流すといった具合で、毎日があっという間に過ぎていきます。会社が立ち上がれば楽になる、などという希望的観測などあっという間に吹き飛んでしまいました。そんな状況はプライベートにも大きく影響します。
忙しさや慌ただしさのせいか、妻との仲もギクシャクし始め、二人の間に深い溝ができていました。まさにそのころには
「あなたが家に帰ってこないようなことがあれば、すぐにでも出ていく」
などというようなことをいわれるようにまでなってしまっていたのです。
篠田総代(当時代表)から、思いもよらないきつい言葉があったのがその日でした。
「伊藤社長、会社がどんな状況かよく分かっているよね。自分の責任は自分で果たすしかないんだよ。しっかり立て直すまで、事務所に泊まり込んで解決してくれ。うちは同率株主制だ。自分の都合は後回しにして、まずは株式会社伊田電通社長としての役割と責任を確実にやり遂げてくれ」
「いや、私は夜、家を空けるわけにいかない。理由は以前にも話したとおりだ」
そのようなやりとりが何時間も繰り返されたすえに、結局私は篠田総代との席を蹴って、駆けるように錦糸町の改札を通り階段を上りました。
ただ、すぐに電車に乗ることはできず、寒風の吹くホームに立ち続けていたのでした。そして、もういちどチャンスをくれることになった篠田総代からの電話。
「そんなに帰りたいなら帰っていいよ! 明日から来なくていいよ!」
といわれ、
もしこのまま帰るなら本当にお仕舞いなんだということが身に染みました。それはすなわちIMSグループの取締役解任に伴って株主から外され、自己破産とそれに続く一家離散という現実がはっきり見えたのです。情けない話ですが、そこから妻に連絡して説得し、吹っ切れたように私はそのまま事務所へ、篠田総代のところへ戻ったのです。もしあのとき、勢いに任せて駅に入ってきた電車に乗っていたら、確実にいま、私はIMSグループにいることはなかったでしょう。
いくつかの偶然と巡り合わせに恵まれたことは事実です。けれどなによりも大切だと信じているのは、必要なときにきっぱりと「決断」すること。きっと誰にとっても、一生のうちには必ず何度かそんな場面が巡ってきます。重要なのはそこで目を背けてはいけないという真実、自分の責任を取れるのは自分しかいないからです。逆に言えば、その決意さえあればたいていのことは乗り越えられる、ということをいまの私は知っています。その一番の証拠が、現在のIMSグループだといって間違いありません。ただ、12月のその日からも、2~3年は無我夢中で寝ているのか起きているのか分からないような生活が続きました。でも、自分のことについては、気持ちが揺らぐような状態と、きっぱり縁が切れたと思っています。

「人財」をつくり出していくIMSグループ

株式会社IMS設立当初から、我々は「人財」を重視するという方針を一番の基本として事業を展開してきました。
誰であろうと、人間には欲があります。ただし、その赴くがままに自分自身が操られてしまうようでは、あまりにも悲しいではありませんか。ただし、どれだけ「自分だけは」と思っていても、時間が経つなかで少しずつ当初の強い想いが薄れていくことは避けられません。また、いざ決断をする場面に直面したときに、判断が曇ってしまうのは、生きている以上、決して「欲」から自由になれない人間である以上、どうとも仕方のないことでしょう。
だからこそ、株式会社IMSは設立当初からそうならない「仕組み」を創りました。仲間うちから誰一人「餓鬼道」に堕ちるものが出ないように、ただし同時に社会から求められる仕事を通じて自分たちの事業を発展させていくことを目指しています。そのために欠かせないものが「人財」なのです。創業メンバーの我々一人ひとりが、自分自身の人格や能力を高めていくことは、いうまでもなく「人財」につながります。
ただし、それだけでは不十分です。ともに汗を流して事業を育てる仲間に対する暖かい気持ちを持てば、当然のことのように現在の事業を承継していくための次の「人財」を探し、育てていかなければなりません。それは、先行してこの目標に取り組んできた我々のもう一つの使命といえます。ただし、それは非常に困難なことでもあります。人間は一人ひとりが異なっていますし、どのような状況のなかにいるのかによって、たとえばまったく同じ言葉を掛けても、その時々の受け取り方や反応は違ったものになるからです。

期待できる人財と出会いたい

事業の根幹が「人財」であることは、繰り返しになりますが株式会社IMS設立当初からの大前提でした。実際、10年間になるIMSグループでの私の経験からも、その点が一番大切なポイントであることを改めて強調したいと思います。そして、これは善意だけでは必ずしもうまい方向に向かうものでもないというのが、なんとも厄介なところなのです。私自身も、本当に悔しかったり残念だったりする「人財」に関しての経験をしてきました。
5年ほど前になります。30代半ばの男性を採用しました。ここでは仮にN君としておきます。客観的に見ても仕事ができましたし、本人も最初はアルバイトで入って来たものの、2~3年経つなかで、警備業界で人生を切り開いていきたいという強い希望を持つようになってきました。
我々社員の仕事には、重要なポイントがいくつかあります。なかでも比重の大きいものの一つが、現場の隊員さんたちとどれだけ人間的な信頼関係を持てるようになるか、という点です。N君がとくに優れていたのはそこでした。警備の仕事はじつは生命がけのものでもあります。たとえば交通誘導などでは、わずかな油断で凶器に一変しかねない自動車と、肌を摺り合わすような距離で誘導にあたります。ほんの少しの油断や体調不良がきっかけで、怪我はもちろん本当に生命さえ失う可能性があるのです。
しかも、天候次第で楽にも厳しくも変わってしまう。とはいえ、屋外の仕事が気持ちのいい季節というのは1年のうちでもほんのわずかしかありません。
四季があるのは日本の素晴らしい点だといわれるようです。ところが、我々から言わせてもらうなら、屋外の仕事で冬は寒さに震え、かじかむ手足の辛さに耐えなければなりませんし、炎天下の真夏日は止めどない汗が目に入り、ヘルメットの中の温度は外気よりずっと上がって頭がもうろうとして足がもつれることもめずらしくないのです。
それでいて警備員の平均年齢は60歳を超えています。どれだけ厳しい仕事かは、容易に想像できるでしょう。

気づかなかった期待の空回り

「N君、ずいぶん遅くまで残ってたようだね」
「まとめておかなきゃいけない書類と取っ組み合いだったんです。始める時間がちょっと遅くなってしまったんで……」
「そういえば昼間現場を回ってきたのかな」
「ええ、この暑さなんで警備員さんたちのことが気になってしょうがなくって。結局全部回ってきたんですけど、やっぱりなにか考えてあげないと少しかわいそうじゃないでしょうか」
それだけ人情に厚い人間がN君でした。当然、警備員さんたちからも人気があり、
「今度の管制さんは仕事がテキパキしていいね」
「Nさんに頼まれちゃ、しょうがないなぁ」
などという声も多く、現場での人望はベテランの社員たちを凌ぐほどのものでした。
早い段階から「いい人財かもしれない」と注目していた私も、自分の目利きがあたっていたことに満足し、期待を膨らませました。信頼感が高まるとともにより幅の広い仕事を任せるようになったのもそのためでした。ところがそのころから、N君の表情から快活さが消えてきたように感じ始めたのです。あいかわらず、現場には足繁く通っていましたが、事務所に帰ってきてからの報告もおざなりになりがち。以前には通常の巡回実施簿に加えて、現場で気づいたことや改善ポイントなどが追加されていたのにそれも見られなくなりました。当初は、ちょっと疲れがたまってきたのだろうかなどと軽く考えていたのですが、そんなうちにちょっとした事件が起こりました。

経営者候補は優秀な社員とは別か?

警備業は警備員がいなければ成り立ちませんし、同時に警備依頼がなければ成立しない仕事です。その警備員は短期契約がベースになりますが、景気がよくなると不足し不景気とともに希望者が増えるという傾向にあります。ところが警備需要についてはまったく逆で、景気動向に比例して依頼数が増減します。
一度、この仕事に関わるとはっきりと分かるのですが、これは警備員という仕事が必ずしも割のいい仕事ではないということが理由となっています。世の中の景気がよく、さまざまな仕事があれば、警備以上に有利な仕事をみつけることができるので、必然的に警備員の応募は減ってしまうのです。だからこそ、警備業では優秀な警備員を確実に確保できるかどうかが大変重要。当然、IMSグループでもそのためには役員を中心に意識を高め、経営の重点事項に位置づけています。

 

問題はそこで起こったのです。N君に担当してもらった警備員募集が大失敗したのです……少なくとも私はそう判断しました。経緯は次のようなものだったのです。有料の求人媒体を利用して警備員募集を掛けることが決まり、N君を担当として指名。本人も大変興味を持ち、準備段階からプランと目標について何度か打ち合わせを重ねました。
その内容は、最初から媒体を決めうちするのではなく、可能性のあるところにできるだけ多く声を掛け、個別にプレゼンしてもらったうえで広告を発注するというもの。プレゼンしてもらう内容には、予想採用人員数を明記してもらい、その点を発注先決定のための最重要要件にするというものでした。もちろん、私にはなんの異論もありません。そして各社のプレゼン。その場は完全にN君に任せ、私は「X社に依頼します」という報告を受けるだけでよしとしました。
ところが、いざ広告が掲載されても、反響がほとんどなかったのです。結局、2週連続で募集広告が出たのにもかかわらず、応募者は片手ほど、採用できたのはわずか1名だけというさんざんな結果でした。

微妙で困難なのは人間同士の理解

ところがN君は、それほど気にする様子もありません。
「プレゼンまでして向こうが出してきた予想の10分の1以下だよ。こんなんじゃとてもじゃないが広告料なんか払えない!」
という私に対し、
「なにいってるんですか、そんなの言語道断! しっかり広告は出てるんですから、その分は払うのが当たり前だ。応募が少ないのはウチの魅力がないせいでしょう」
と、まるで逆ギレです。

 

同じようなことが、紹介キャンペーンでも続きました。
これは、現在IMSグループと契約している隊員さんが口をきいてくれた新人の契約成立で紹介料をプレゼントするというものでした。N君の担当する隊員さんからの紹介という大学生を採用。ところがよくよく書類をみると、小田原在住で株式会社アイデンのある秋葉原までは、片道で優に1時間半以上はかかります。しかも学生ですから勤務可能はどんなに多くても週に1回、1カ月に3日もシフトが組めれば良い方だというではありませんか。
「この内容じゃ、紹介料分ウチに貢献してもらうのにどれぐらいかかるか分かるだろう!? そんなもん認められるはずないじゃないか!」
「バカなこといわないでください!! キャンペーン条件のどこにもそんなこと書いてないじゃないですか。紹介料はなにがあろうと払ってもらわなけりゃすみませんよ」
そんな捨て台詞を吐いて事務所を出て行ったN君は、それから4日間無断欠勤したのです。
本来なら、そこで解雇すべきだったかもしれません。ただ、無断欠勤の初日こそ私も怒り心頭でしたが、日数を重ねる間には周りの社長たちからも指摘され、やはり私の考えも少し無茶だったということに気づき、求人媒体のX社と小田原在住の大学生に支払いをしました。
「経営がどんなものかまだまだ意識できないのだろう。素材はいいんだ。これで経営するという視点を持てるようになれば期待できる人財に間違いない」
そう考え直し、もどってきたN君を篠田総代(当時代表)に預かってもらうことにしました。

 

しかし、一度もつれた糸はやはり元には戻りません。それでも1年ほどは働いたものの自ら退職していくことになります。ただ、この話はそれで終わりませんでした。なんとN君は辞めるにあたって、自分が面倒をみていたIMSグループの隊員さんたちを引き連れて、新しい警備会社を立ち上げたのです。しかも最初
の顧客になったのは、同じくそれまでIMSグループのお客さんだったところ。顧客までかすめ取ったのでした。しかもそのあとに、退職する数カ月も前から、顔見知りの隊員さんたちを積極的に引き込もうとしていたという話が次から次へと出てくるありさま―私としては身内だと思っていた人間だけに、文字通りはらわたが煮えくりかえる思いを味わうことになったのです。

幸せの環を広げていくのがIMSグループの未来

よくよく考えてみれば、N君のことは私にも罪があります。結局、自分だけの視点で他人を型に当てはめていたのが間違いでした。冷たいようですが、他人同士が集まって社会も会社もできあがっています。
当たり前かもしれませんが、他人に過度の期待をすること自体が誤りなのです。N君もN君なりに私に別の期待を掛け、裏切られた末にあのような行動に出たのかもしれません。そう感じるようになったいまになって、私はN君のことを許すことはできないが理解はできるようになってきました。
ここでお話しした以外にも、IMSグループでの10年間には本当にいろいろなことを経験してきました。ただ、紆余曲折の幅は小さくなかったとはいえ、やはり我々がたどってきた道は正しい方向だったことは、なによりも現在のIMSグループの業績からはっきりと分かります。その過程では、私自身悩んだり疑ったり迷ったりすることばかりでした。
しかし、その結果、やはり「これしかなかったのだな」という実感が胸の奥の深いところから沸々とわき上がってくるのを感じます。自分が幸せになりたければ、周りの人を幸せにすればいいのです。我々IMSグループを立ち上げた仲間たち、あるいは私だけかもしれませんが、とまどいながらもこの10年間こだわり続けてきた理念を自分のものとして、さらに先の世代につなげ、受け渡していってくれるような若い人たちに出てきて欲しいのです。
そんな「人財」がIMSグループの想いを全国に広めていってくれれば、周りの方すべてが幸せを感じられるはずだと思います。IMSグループがまず23区を制覇し、その先、全国へネットワークを広げていくことは、そのための一番効果的な手段なのだ、それがいま、私の考えていることです。

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